現代語訳『三州奇談』 その31 「吉田射術」(巻之四)


現代語訳『三州奇談』 その31 「吉田射術」(巻之四)



堀麦水の『三州奇談』は、近世中期に成立した加越能の奇談集である。

正編と続編あわせて149話あるが、すべて1話読み切りとなっている。



今回は巻の四にある「吉田射術」である。









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宝暦のはじめ頃のことである。彦三五番町と六番町の間に古狸がいて、夜な夜な人家の門や戸をたたいて、「物申す物申す」といって人を起こしては、瞬く間に逃げて行くことがしばしばあった。

それらの家の下男たちは腹を立てて、罠をかけたり、犬を待ち伏せさせたりするなど、さまざまなことをしたが、なかなか捕まえることができなかった。



あるとき吉田久兵衛がこれを聞いて、ふざけて遊び半分に、そばにあった弓矢をもってきて、弓をつがえた。そして茶の間からはなれた庭の壁のむこうの、狸の声が聞こえるあたりに射通したところ、手ごたえがあったが矢は見つからなかった。そのあとは、狸は二度とこなくなった。



それからおよそ二十日ばかり過ぎたころ、野田村の百姓が矢を持参して、「野田山の後ろに一匹の古狸がこの矢に刺されて死んでいたので、その矢をとりあげてみると、矢の根っこに吉田さまの名前があったのでもってまいりました」といって、帰っていった。


近所の人は、壁を隔てながらの素早いわざは神業のようだと吉田氏にいうと、「そのようなことなど、ありえない」と答えられたのは、奥ゆかしいことであった。



そもそもこの吉田氏は、その昔関白豊臣秀次公の家臣吉田木及に三人の子があって左近・平兵衛・大蔵といったが、のち加賀の前田利常公に仕えて、弓道にすぐれ、並々ならぬ名人であった。



ある年、五代藩主前田綱紀公が江戸から金沢に帰られたとき、旅館の瀬戸の竹やぶのあたりであやしい鳴き声がしたので、吉田忠右衛門を呼んで、闇夜であったがその鳴き声のあたりをたよりにして矢を射るよう命じられると、ただちに射止めたので鳴き声は止んだ。

夜が明けてからみると、それは竹と竹とがすれ合う音だったが、その竹の間に矢を射たのであった。





また、同じ家中に岡田喜六郎という新参の侍がいて、武具をつくった。その武具の鎧の札(さね)を試してみたいと望むと、たやすいことだと吉田左太夫がやってきた。

そして鎧を縁側につるして矢を射たが、矢は鎧を通すことができず、左太夫はいい鎧だとほめて帰っていった。



こんなことがあったので岡田は自分の鎧が完璧だと自賛して言いふらして、吉田家の射術といっても、鎧によっては通すことができなかったのだと、会う人ごとと語り合った。



その後、左太夫岡田氏に会って、以前試してみた鎧には少し気になるところがあるので、もう一度やってみたいと申し出た。

そして、また鎧を縁に釣っておいて、今度は角根矢を使って、胴中をズンと射通した。



岡田氏は興味を覚えて、前回は矢が途中で止まったのに、この角根矢はよくも射通すことが出来たのはどうしてなのかと訊ねた。

そのわけはと聞くと、左太夫は「それは以前の一矢によって射術の家名の名折れになるとの評判があったので、このようにしなければならないと思った」と語ったのだった。



岡田氏は左太夫の深い思いにお礼をいい、のちその矢の跡をそのまま保存して、「何年何月、吉田左太夫角根矢を以て射通すものなり」と蒔絵をして、銘を金粉で書き記して、岡田家の大事な宝としたのである。



この話を吉田氏の門人の何某が評して、「岡田氏の鎧の話は実際にあったことだ。ただ、その前段は事実ではない。ものをみないで矢を放つなどということは、吉田家ではけっしてしない」、などといった。

この説にはいろいろあるのだが、長くなってしまうので、別本にとどめることとし、ここでは略すことにする。









以上が、巻の四にある「吉田射術」である。

当時、弓道の名人といわれる人は、幾人もいたであろう。

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