現代語訳『三州奇談』 その28「蛙還呑蛇」(巻の一)


現代語訳『三州奇談』 その28「蛙還呑蛇」(巻の一)




現代語訳『三州奇談』、今回はその28「蛙還呑蛇」(巻の一)である。



『三州奇談』には大聖寺藩の話がいくつかあるが、「蛙還呑蛇」もそうで、宝暦の大火の予兆を語っている。次の話「中代の若狐」の前段として語られている。

『三州奇談』は、一話読み切りのかたちをとっているが、ここは二話完結とすべきかもしれない。







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近年、大聖寺に火災が度重なっている。大火事の前年に福田橋尼懸所道というところに、村何何某新右衛門という頭役の屋敷前で、蛙が蛇を呑み込んだので、人々は不思議だと思っていた。


人々が行ってみると、蛇は一尺五六寸ほどの長さで、この地ではアヲナムサという名前の蛇であった。蛙はいつも見る蛙であったが、少し大きめであった。


蛙は蛇を半呑みにして争っていたが、一日一夜かかって蛙はとうとう蛇を呑み込んでしまった。三つ足のヒキガエルは蛇に打ち勝つということを聞いているが、今度のことはそれとは違っていて、普通の蛙であった。大きいとはいえ、極端に大きくはなかったが、たやすく蛇を呑み込んだ。


そのころには、べつの家の塀の中でも、このような事があったというし、そのほかにも蛙が蛇を呑み込んだといううわさがあった。そんなことがあったので、蛙が蛇を呑み込むことは当たり前だと思うようになった。




そのころ来あわせていた旅の僧が六十四卦で占ったところ、蛙が蛇を呑みこむ変事があるときは、この世で火災による損害がある兆しだといった。


その予言のとおり宝暦十年(一七六〇)二月七日、大聖寺上口袋町から出火し、中新道に移り、強風の中数カ所に飛び火した。


燃えたのは、観音町、魚屋町、東西関町、越前町、三ツ屋、五間丁、一本橋町、中すじ通、馬場本町通り、京町通り、山田町通り、鍛冶町、荒町、寺町、法花坊、鷹匠町通り、との町、福田町、中丁、八間道、新橋町通り、番場丁、福田片町、新町、相生町、土町など全町が燃え、福田上村までに至った。


それに加えて、願成寺、亳攝寺、福寿院など荘厳されて輝いていた寺院も燃えて、

町全体が一朝にして焦土となってしまった。









以上が「蛙還呑蛇」であり、この話は大聖寺の大火の前兆を語っている。

注六十四の占いの組み合わせのなかに、蛇を呑みこむのは凶兆であり、大火がおきるという卦があったのだろう。



ところでこの宝暦の大火は、蛙が蛇を呑みこむ事例が続発し、それが火事の予兆となったとされる。蛙には、予兆・前兆をとらえる能力があるのだろうか。


まず思い浮かぶのが、「蛙が鳴けば必ず雨になる」で、天気の予兆を示すものである。これは日本ばかりでなく、ヨーロッパ(草むらのカエルが黄緑色だったら天気は良い。暗色で汚れていたら雨になる)や、アメリカ(ウシガエルを殺せばたちどころに雨になる)でも、蛙と天気にまつわることわざは多い(荒俣宏『世界大博物館図鑑』平凡社)。



小野道風が柳に飛びつこうとするカエルをみて発奮し書道に精進したという話も知られているが、本来の意味はこうだった。これは「小野道風青柳硯」という人形浄瑠璃にでてくるもので、劇中、烏帽子狩衣姿で傘をさした道風が柳に飛びつくカエルをみて、帝に危険の迫っていることを悟るという場面がある(荒俣宏)。これも蛙の予兆である。



また蛙は、昔話で親しまれている人の生活に身近な爬虫類だが、たたりや巨大化、人に化けるなど様々な怪異をなすとされている(『日本怪異妖怪大事典』東京堂出版)。

こうしてみると、人々は蛙の「前兆予知能力」を認めていたようである。





「蛙還呑蛇」は大聖寺の大火で焼けた町名を克明に記している。奇談では珍しいことである。



大聖寺藩の本藩である金沢の加賀藩がどう対応したかの記録が残っている。



七日夜四つ半(午後十一時)頃に火が出た大火は、八日巳の刻(午前十時)金沢に一報が届いた。本藩金沢は即刻御使番大橋作左衛門に足軽・小者六十人をつけ、同日午後二時に金沢を発って、同日夜、支藩大聖寺に到着している(「変異記」)。

およそ九百二軒が焼失、死者は五十人あまり、「福田橋落候処江行懸り相果候者多候由沙汰候」と、火の廻り早かったことを物語っている(「泰雲公年譜」)。



「政隣記」を含めたこれらの文書には焼失した町名や役所・寺院が記されているが、町名をさらに詳しく留めているのは『三州奇談』の「蛙還呑蛇」である。

『三州奇談』で麦水は、ほとんどの話に地名や年代(和暦)をつけており、それが奇談と歴史をつなぐ貴重な情報となっているが、この話が実証している。

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