現代語訳『三州奇談』 その25「魔雲妖月」(巻之四)


現代語訳『三州奇談』 その25「魔雲妖月」(巻之四)




堀麦水による『三州奇談』は、近世中期に成立した加越能の奇談集である。

今回はその25「魔雲妖月」(巻之四)の現代語訳である。








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貞享(一六八四‐八七)のころ、浅野の水車町に、大桑屋太郎兵衛という人がいた。川水を取り入れてとり込み水車を回し油を搾って暮らしていた。ところが川水は前田大膳殿の下屋敷の池の水として引きこまれてしまったので、この水車は動かなくなって雨露で朽ち果て、商売できなくなってしまった。そのうえ不幸続きで落ちぶれてしまい貧しい暮らしをしていた。



そんなある三月の末、河北郡谷内村の奥へ落ち葉を拾いに行ったが、若いころから裕福に暮らしていてそのようなことをし慣れていなかったので、何とかたくさんあるところへと深入りし、なんとなく気味が悪い谷深く降りて行った。



時間は真昼時ころと思ったが、にわかに空がかき曇り雷がしきりに鳴り響き、深い谷はたちまち暗闇となった。またあられがものすごく降ってきて方角を失ってしまった。

しかし太郎兵衛はものに恐れず臆しない上、剣術も一通り覚えていたので少しも騒がなかった。腰に差していた鎌を手に持ち、暗い中ッ悦する枝を打ち落とし、これをささえにして進んだが、ようやく一時間ほどかかって谷を登り切った。



峰に出て空を見ると、曇りなく晴れ渡り、黒雲も雷光もさらさらなかった。不思議なことだと思いその場に立っていると、山里の人が五、六人やってきて、太郎兵衛をつらつら見て、おまえはどんな池に落ちたのだと聞かれ、かくかくのことがあったと話した。

その時村人は大いに恐れおののき言った。そもそもこの谷は天狗谷といって、昔から地元の者といえども入ることはできない。この谷に入ったもので生きて帰ったとは聞いたことがない。天狗の棲家で、木の葉を一枚でも持ち帰ると必ず災いがあるといわれている。あなたが危うくたすかったのは、ひとえに神仏の加護のおかげだ。



太郎兵衛が言った。わしはこれまでこのような落ち葉拾いといった卑しい生業をしなかったので、このようなところを知らなかった。天狗が出るなら天狗谷という立札があれば、誰が入るものか、知らないでそこに入ったものにたたりをなす臆病天狗は天狗の鼻たらしだと、カラカラと笑い飛ばしたので、木こりたちもさても肝の大きな人かなといって、舌を巻いて立ち去って行った。



であるので、その場所は見定めておくべきだと、享保年中(一七一六‐三五)にその場所に来て、人を誘って見せてやった。

谷地村から登ってはるかに奥の方に左に道があり、そこを約一キロ半行った左の谷がそれであった。そこに着いたところで太郎兵衛はこれが天狗谷なんだと指を歳教えたことである。







また享保元年に、奥村豫州公の近習、河合何某という者が仕事の休みに可愛がって飼っていた犬を引いて山野に分け入って、狐狸を獲って楽しんでいた。

九月二十三日の日が暮れた後、いつものように犬を引いてすぐ近くの若松山に入って、すべての獲物を求め歩いたが、あいにく一匹も獲ることができず、なすすべもなく時が過ぎていった。



もとより闇夜のことであったので、すぐ近くのものも見分けられず、すぐに道に迷って茫然としてたたずんでいると、不思議なことにけわしい峰の上から満月が現れ、光の赤く輝くさまはあたかも曇りのない鏡のようで、時の見当は午後九時ころであろう。とりわけ今夜は雲が多い。いずれにしろまだ月が出てくる時間ではなく、承知できないとみていると、この月が舞い下りて松の梢に止まって、光はますます目をくらませたので、腰の刀に手を掛けて、下りてきたら切ってすてようと待っていた。



そうするうちに生臭い風がさっと吹いて、黒い雲を吹きかけてきて、月を覆ってしまうかとみていると、あとかたもなく空に消えて、元の闇夜となった。



ここで長居してはいけないと思って、犬を脇に挟んで、峰をよじ登り谷を降りたりしたが、まわりの暗さは暗く、木の根や岩の角につまづいたりして,やっとの思いで鈴見村に着いた。

そこの民家の戸を叩いて始めから終わりまですべてを話して、しばらく休んで帰ったという。



これはどんな悪魔だったのだろう。



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