現代語訳『三州奇談』 その23「吉崎の逃穴」(巻之一)


現代語訳『三州奇談』 その23「吉崎の逃穴」(巻之一)




堀麦水による『三州奇談』は、近世中期に成立した加越能の奇談集である。

今回はその23「吉崎の逃穴」(巻之一)の現代語訳である。








【訳】



吉崎の里は加賀と越前の境にある。そのため加賀吉崎というところがあり、一方また越前吉崎がある。そこは川を隔てて国境になっている。そこは水が山をめぐり、並ぶもののない絶景であった。



浄土真宗を中興した蓮如上人の旧跡である城山は厳かにあり、蓮如の腰掛石は草間に砥石のように残っている。「瓶中の松」というのは上人の仏前にあった松を一つとって挿したところ、そのまま大きくなったという言い伝えがある。近年、松に苔が生えて、六字名号の文字になっているという。松が立つさまは、まるで花瓶に立てたようである。



ここに東西本願寺のお堂があり、大きく荘厳である。三月二十五日には蓮如上人の御忌(法会)として七日間、近隣や他藩の僧侶や一般の人が大勢やってくる。

前方には瀬越・汐屋の浦を挟んで、波間に鹿島大明神が祀られている。樹木が茂っているようすは、厳かである。ここの木に棲みついている鵜は、必ず加賀と越前にわかれているという。

ここにある長井村は、はじめは越前に属していて、斎藤別当実盛の出生の地と伝えられている。



蓮が浦、竹の浦は、加賀越前第一の名所である。

ことに吉崎は仏縁の地であるため、人々は厚く仏に奉仕し、普段から肩衣をつけた年寄りや数珠を持った老女が絶えることがない。




宝暦十年(一七六〇)のころだったか、加賀吉崎で畑を打っていた人が何気なく石をはねのけ土を打ち返していると、急に足元がどっと崩れて深い穴になった。奥はどこまであるのかわからなかった。


幸い途中に狭くなったところがあり、鍬が引っ掛かったのに縋りつき、声を張り上げて叫んだが、その時付近には畑をしている人はいなかった。深い穴に落ち込んだので、遠くの人にはこのことがわからない。


穴の口は葛の根でふさがっており、しばらくはこれを食べてしのぐことはできても、月日が経てば葛の根を食べきってしまうと思うと恐ろしく心細くなり、声も出なくなってしまった。


しかしこの世との縁が強かったのだろうか、かろうじて鍬の柄を頼りに、打ち立て打ちつけして、ようやく穴を上って地上に出ることができた。




その後は、この穴を覗いた人は恐れおののいたが、やがてこの穴は誰がいい出したのか、極楽に通じていて、西の方に深く続いていて、極楽への近道だなどといわれるようになった。


実際に縄を下ろして見に行った人もあるが、その深さはとても測ることができなかった。

気のせいか時々高貴な香りがするという者もいた。心無いものは昔の古井戸か、乱世のときの抜け道だった穴を掘りあてたのではないかといった。


ひところはしきりに見物するために集まったが、雨風のたびにこの穴はふさがって、今は元の田んぼに戻ってしまっている。




これは昔の穴居のときの道なのか、小野篁が黄泉の国に通ったお忍びの道なのだろうか。もし鎌倉の世だったら穴の奥まで探していただろうが、今は新田開墾のためそんなもの好きをする人はおらず、ついぞ地獄めぐりの沙汰をした話を聞かない。


里人に尋ねると、今なおこの辺りではその穴のことを恐れており、鍬を打つ時も薄氷を打つような心地がして、まるで老いた鶏が歩くのを怖がっているのに似ていると笑っていた。



ある人がいうには、仏穴で修行することはえがたいことだから、この穴に落ちた農夫が助かったのは、あるいは不幸で残念な事であったのではないかという。

これもまた、一つの奇談ということができる。








以上が「吉崎の逃穴」である。

吉崎御坊は、浄土真宗を中興した蓮如上人が開いた聖地である。

『三州奇談』には、ほかにも穴に落ちた人の話があるが、その穴の先は果たしてどんなところなのか、そこに奇談が生まれるのである。

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