キツネとイヌの昔話


キツネとイヌの昔話




地元紙・北國新聞の投書欄にこんな話がのっていました。

それを読んで、江戸時代の話を連想しました。




こんな投書でした。



 子ギツネと出合った



貞岡正枝 82歳 (輪島市)



私は浄明寺坂をキャリーバッグを引いて歩いていた。そこで子ギツネに出合った。30㌢ほどのかわいい顔をしていた。私が近づいても逃げようとせずに、じっとしていた。不思議に思いよく見ると、口に何か堅いものが挟まって、口を閉じることができないようだった。私自身、足が悪いのでどうにもできない。



誰か通らないかと、周りを見ていたが。子ギツネはあきらめたのか、側溝の中へともぐっていった。私は帰り道も同じコースを歩いていたら、さっきの子ギツネに出合った。口の中の異物がとれていて、元気よく走り去っていた。子ギツネはそれを告げるために来たのかと思うと、ああよかったと胸をなでおろした。



このような投書でした。




輪島での、昔話に出てくるような子ギツネの話を読んで、殺伐とした浮世のことをしばし忘れ、ほのぼのとした気持ちになりました。





投書の概要を箇条書きにするとこうなります。



それは

   買い物に行くとき坂道で子ギツネに出合った。

   近づいても子ギツネは逃げようとしなかった。

   子ギツネの口に堅いものが挟まっていて、口を閉じることができないようだったが、私は足が悪いので助けてやれず、子ギツネは消え去った。

   帰り道、同じところを通ると、子ギツネがあらわれた。

   口の異物がとれて元気そうに走り去った。

   子ギツネはそれを告げるために出てきたようで、ほっと胸をなでおろした。



話の内容は以上のようなものでした。







これを読んで、同じような話をどこかで見たような感じがしていたのです。そして思い出したのです。

『三州奇談』にあったのです。





堀麦水による加賀・能登・越中の『三州奇談』は、近世中期に成立した加越能の奇談集で、愛読しているものです。



そこに「家狗の霊妙」(巻之四)というのがあります。

「家狗の霊妙」は、人のまわりにいる犬の行動に関わる伝承です。

人との長い歴史を共有する犬は、猟犬・牧畜犬・番犬、さらには愛玩犬として、共に暮らしてきました。



この話には、犬と人間にまつわる4つの話がありますが、投書欄を読んで、その二つ目にある話を思い出したのです。

 



享保(一七四一~四三)の末、近江町の長兵衛という京通いの者が、夜中に手取川の粟生の河原を通ったところ、白犬がまつわりついてきた。

喉に大きな骨が刺さっていたので抜きとってやると、犬はよろこんで寺井までついてきた。その後、長兵衛が粟生を通るときは昼夜を問わずこの犬があらわれ、河原をついてきたと、長兵衛は話していた。







この「家狗の霊妙」では、白犬がのどに骨が刺さったので、それをとってほしいという風に、旅の人にまつわりついてきて、骨をとってもらった。恩義に感じた犬は、その旅人がそこを通るたびについてきたというのです。



加賀平野の真ん中を流れる手取川の粟生のあたりは、現在は一本の流れになっていますが、江戸時代には川幅4キロ余りもあり、七、八本の流れがあった大変な難所で、そこを犬が安全に案内したというのです。





投書の子ギツネと『三州奇談』の犬は、ともに人とコミュニケーションをとって自分を助けてもらいたいという意思表示をしており、そこにはそこはかとない動物の霊力が感じられ、おとぎの世界にいざなってくれるようです。



昔も今もかわらず、こうした点では共通点があったわけで、動物の霊力は現代でも根強く潜在していると思います。





蛇足ですがー

ここには、ちょっと都会の空気が入りこんでいます。男が犬の骨を抜いた後に、口中の傷を治すために「懐中の兼康(かねやす)みがき砂をぬり付け」と、薬を使っていたといいます。

江戸時代前期、兼康友悦という歯医者がおり、歯科医のかたわら元和三年(一六一七)江戸本郷に店をだし、歯磨き粉を処方し、歯痛の薬も売っていたのです。

現在は洋品店をしており、「本郷も兼康までは江戸の内」などともいわれた有名なお店です。



『三州奇談』を書いた堀麦水は、江戸・京都・大坂、はては長崎まで旅した人なのです。
「家狗の霊妙」に出てくる京通いの男は、しゃれた薬をもっていたのですが、その京通いの男は、麦水その人であったかのようにも思えてきます。

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