漱石の『永日小品』
夏目漱石の『永日小品』を読み返しました。
五回ほど読んだでしょうか。前回は2010.10に読んだというメモが書いてありました。
1909(明治42)年の作品で、『三四郎』と『それから』の間に執筆されたものです。
25の小品からなっており、そこにはー
身辺に題材をとった、日常を描いた随筆風小品、
ロンドン留学時代を回想したもの、
青少年期の体験を回顧した小品、
実験的な手法が多く用いられた短編小説と呼ぶべき作品、
などが、含まれています。
解説には「ロンドン留学時代を回想したものなど短編小説からエッセイまで、漱石のさまざまなアプローチの掌編を味わえる」とあります。
『猫』や『坊ちゃん』、『三四郎』に比べて、また『夢十夜』に比べても読者は少ないでしょうが、興味ある内容が、あっちへ飛び、こっちへ来るといった具合に飛び出してきます。
そのなかに「猫の墓」というのがあります。あの有名な「名前のない猫」の最後を書いているのです。
弱っていく猫を突き放しているようでもありますが、深い愛情が根底に潜んでいるのが、行間から伝わってきます。
漱石は買ってきた墓標に「猫の墓」と書いてから、「この下に稲妻起きる宵あらん」と、一句をしたためているのです。
猫の命日には、妻がきっと一切れの鮭と、鰹節をかけた一杯の飯を墓の前に備えたとも書いています。
『吾輩は猫である』で世に出た漱石には、猫への思いやりがひとしおだったのでしょう。
2年ほど前に、早稲田南町にできた「漱石山房記念館」の庭には、確か猫の墓があったように覚えています。
中でちょっと意表を突かれたのが「モナリサ」でした。
「井深は役所へ行って、モナリサとは何だといって、皆に聞いた。しかし誰も分からなかった。じゃダビンチとは何だ尋ねたが、やっぱり誰も分からなかった」。
100年ほど前には、ダビンチはあまり知られていなかったことがわかりました。いわれてみるとやっぱりかと思いますが、それにしてもという感じもします。
漱石は何げなく書いたのかもしれませんが、今読むと、へぇー、ダビンチがと、時の流れを思ってしまいます。
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