夏目漱石の『吾輩は猫である』


『吾輩は猫である』




夏目漱石の『吾輩は猫である』を読みました。



最近の小説は芥川賞受賞作くらいしか読みませんが、時間があれば漱石の作品ばかりを読み返しています。



漱石といえば『猫』を思い出す人が多いようですが、読了したという人は意外と少ないのではないかと推測します。



偏屈な苦沙弥先生と、彼の元に集まる迷亭や寒月、東風といった変わり者たちが語る、明治時代の文明論のような語り口が煩わしいと感じる向きも多いことと思いますが、それが好きな者にはたまらないのです。



私は、漱石で一番好きな『門』や『三四郎』、『それから』、『行人』などは10回以上読み返していますが、『猫』の回数はそこまではいっていません。



『猫』を読むときには、それなりの体力、気力が充実していないと、その気になれないところがあります。

登山家が、槍や剣岳に登るときのような感覚でしょうか。









どの作品も読むたびに発見があるのですが、今回『猫』を読んで目にとまったのは、以下のようなところです。



   『猫』は、1から11までの章で構成されています。



その7で、「人間は悪いことさえしなけりゃ、120まで生きるもんだからね」といっています。

現在では、人生100年時代ということがよく言われていますが、その走りのようなものです。



もっとも、大隈重信は125歳まで生きるといっていたそうで、それにより大隈講堂は125尺の高さにしたといわれていますが、当時から100歳という寿命について、関心が高かったことがうかがわれます。



   ところが、漱石の分身のような苦沙弥は、11で、

「とにかくこの勢いで文明が進んでいった日にゃ僕は生きているのはいやだ」といって、西洋文明に追いつけ追い越せといった当時の風潮に抵抗する姿勢をみせています。

もっとも漱石はいろいろな作品で、このようなことをいっています。



   これと同様のことを、9でもいっています。

「君はしきりに時候遅れを気にするが、時と場合によると、時候遅れの方がえらいんだぜ。第一今の学問というものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありやしない。到底満足は得られやしない。そこへ行くと東洋流の学問は消極的で大に味がある」



「どこまで行っても際限はない」、今の世の中もとめどもなく、どこまで行ってしまうのか、心配になってしまいますが。



   10のところでは、「自分ではベートヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙の音と確信している」と。



漱石は、クラシック音楽を聴いていたのが意外で、またうれしくなりました。



   おなじ10に、「主人が昔去るところの御寺に下宿していた時、ふすま一重を隔てて尼が五、六人いた」という一節があります。



この「御寺」とは、全集の注釈によると、

「漱石は明治271016日から翌年4月、松山に赴任するまで、小石川伝通院側小石川区表町73(現、文京区小石川3)の法蔵院に下宿していた。明治271031日付子規宛書簡に「隣房に尼数人あり少しも殊勝ならず女は何時までもうるさき動物なり」云々と書いている」とあります。



 これは前から知っていたことですが、私は学生時代をこの法蔵院のすぐ下

 にあった学生寮で過ごしました。

当時は文京区表町といっていましたが、漱石との小さな関りがあったとい

うことで、読むたびにこの注釈を繰り返し確認しています。

 



今回チェックしたのは、こんなところでした。前回読んだは201610月ですが、10数回読んだ中で、今回は全体が不思議と、すっと自然に頭の中に入ってきました。



読んでいる途中で、過去には迷亭のとりとめのない長口舌にへきえきとすることもありましたが、今回はそれをとても面白いと思いつつ、先へ進むことができました。



同じ作品でも、毎回読むたびにそれまでにはなかった局面があらわれ、見えてきます。新発見があるのは、愉快なことです。



漱石を読む、次は何にしようか、未定です。

ところで、今現在『吾輩は猫である』を読んでいる人は、どれくらいいるのでしょうか。

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