新 金沢の江戸町


〇金沢の江戸町



金沢には江戸町がありました。



6月始めの百万石まつりのころは、金沢城の石川門と兼六園の間にある百間掘り、ここは今は道路になっていますが、その周辺のツツジが盛りのころです。祭りの前には入念な手入れをするので、石垣の合間にある花はひときわ映えます。








この道路を挟んで、石川門に向かい合う兼六園側には、いかにも観光名所らしい風情がある茶店が10軒ほど並んでおり、赤い旗などを立てて客を呼びこんでいます。

店の前の床几に腰かけて石川門を眺めながらお茶を一服というのはなかなかのものです。




この茶屋街があるところが、江戸時代(藩政期)には江戸町といわれたところだったのです。



慶長六年(一六〇一)徳川二代将軍秀忠の娘・珠姫が加賀藩の三代藩主・前田利常に輿入れしたのですが、その際、江戸から数百人の供があり、それらの人々が石川門の外に長屋を建てたところが、江戸町といわれるようになりました。



さすが将軍家の娘の嫁入り、金沢には新しい町がひとつ誕生したのです。

金沢郊外の野田山には藩主前田家の墓地があるが、代々の藩主より珠姫の墓所のほうが立派にみえます。






珠姫は人気者で、百万石まつりの時にはパレードの乗り物が与えられ、金沢市内の幼稚園児の中から、毎年珠姫役が選ばれます。珠姫の遊び相手という役まであるのが面白い。



この江戸町も人々の間では忘れられがちになっていましたが、茶店を改修する際だったかのときに、発掘調査をして確認されました。



現在は、茶屋街のことを江戸町と呼ぶことはなく、金沢の忘れられた歴史のひとつとなっています。




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