新奇談の犬たち 「家狗の霊妙」(『三州奇談』) その6 唐犬


新奇談の犬たち 「家狗の霊妙」(『三州奇談』) その6 唐犬








『三州奇談』の「家狗の霊妙」のおしまいは、唐犬と幼児の話です。


寛文(166172)の頃、加賀藩三代藩主、前田利常が猟をするための唐犬が逃げだし、子供がいるところに行ったので、人々は噛みつかないかと心配したのですが、ところが唐犬は尾を振り子供の脇に座ったので、一同ホッとしたという話です。





唐犬とは、近世初期に渡来した舶来犬の一種で、非常に大型で、力の強い犬であり、主として大名に飼われていました。当時いた日本の犬より、幾回りも大きい犬種で、係の犬引きがついていました。



唐犬は貴重な犬でした。享保十七年(一七三二)十二月六日、加賀藩六代藩主前田吉徳は幕府から唐犬を受けとっています。




 「右は公方様御飼犬之所、とつぎ不申候。こなた様には犬御数寄之由に候。

  御家来之内に懸様存候者も可有候者も可有之候間、子出生候はば可指上意

  之由に而如此也。今日御作事方御門より引而参り、裏御式台に而、三十人

  頭手合之者に聞番立合為請取候」(「護国公年譜」)




このように述べており、幕府から受けとる唐犬だけに、文面にはものものしい様子が伝わってきます。





この唐犬の記事から三日後の1219日の「政隣記」には、「徳川吉宗放鷹によつて獲たる鶴を前田吉徳に贈る」の記事がみえます。御鷹の鶴御拝領であり、将軍と大名の間にあっては、贈答が広くおこなわれていましたが、唐犬がこうした贈答の対象になっていたということは、希少で貴重な動物であったからでしょう。




さて、ある時この唐犬が暴走したのですが、幼児の前に出ると尾を振っておとなしくなったというのです。



犬と小児の民俗をみますと、中国では天狗などと称し、子供さらいの悪霊がいると信じられていたので、両親は子供の産毛と犬の毛を混ぜた毛玉をつくり、産毛に縫いつけ悪魔よけとしたという記録があります。



また赤ん坊には動物の名をつけたり、「狗圏」という銀色の輪や帯を頭につけ、この子は犬の子で、人間の子ではないと、悪霊を勘違いさせる工夫を行ったりしました(『世界大博物誌図鑑』)。





日本ではお産の軽い犬にあやかり、妊娠五か月の戌の日に岩田帯をつける風習がありました。

また小児の額に犬という文字を書く風習が古くからあり、広く魔界のものを撃退する力を期待されていました。

さらに幼児が初めて外出する時は、額に紅や墨で犬の字を書いて魔除けとしたのです(『精選日本民俗辞典』二〇〇六)。



 



このように犬と小児の間では、犬が小児の魔除けとなり、その成長を願う両親の気持ちが、さまざまな形で表わされていました。これは獰猛な唐犬と弱者である幼児を対比させ、襲われそうにみえた幼児が、逆に守られた話です。その根底には小児を守るという、犬の幅広い民俗があったからなのです。





「家狗の霊妙」は犬の不思議を語る四話でありました。



まとめてみますと、

   喜兵衛の白犬は、忠犬であり、さらに山崩れを予知した霊犬であった。

   粟生の白犬は恩返しとして、危険な場所で恩人に付き添い、人の無事を守る導き犬である。

   田町の黒犬は狼と戦った忠犬であり、通信犬でもあった。

   大豆田の凶暴な唐犬は、幼児を現世と魔界の禍事から守る霊犬であった。





このように犬にはさまざまな側面があります。

犬は、「いつも律義で、化けたりした記録も見当たらない」(『日本史大辞典』)と、犬は奇談と無縁であるかのようですが、犬は人間界と異界を往来する境界性があり、さらに霊力を発揮するので、多様な場面で奇談に登場してくるのです。





『三州奇談』のこの直前の話「異類守信」は、狐・蜈蚣・蝙蝠が人間との約束を守る話で、そのうち紹介しますが、本話は人間に一番近い犬の話でした。



「家狗の霊妙」と「異類守信」、この二つの動物と人間の交流を描いた奇談を対比して読むと、一層興味深いものがあります。





「家狗の霊妙」は、人のまわりにいる犬の行動に関わる伝承でしたが、律儀な犬は奇談の世界でも意外にやるではないかと思います。



新奇談の犬についてはこの6回目をもって終わりとします。

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