現代語訳『三州奇談』その16 「倶利伽羅」 


現代語訳『三州奇談』 その16 「倶利伽羅」  





堀麦水の『三州奇談』は、近世中期に成立した加越能の奇談集である。その現代語訳をしているが、今回はその16「倶利伽羅」(巻之五)である。

石川・富山の県境・倶利伽羅峠は鬼が出る魔境であったのである。









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倶利伽羅山長楽寺は、真言の霊場、藩主の祈願所であり、その霊威を口で述べることはできない。本尊は倶利伽羅不動であり、すなわち山燈・龍燈の霊験がある。



あの寿永の年、木曽義仲が力を発揮し、平家を谷に落した火牛の計をしたのはここである。一騎ずつ進む道は、巨岩が両側にあり、春風がなお寒い。埴生の八幡宮には自分で書いた願文があり、秋の気配がある。日の宮林の跡、巴御前の塚がある。



卯の花山は白山・立山の雪に、向かい合っており、源氏が峰には、なお夏雲が奇峰のように立ち、土俗のひとは信濃太郎といっている。当時の木曽義仲の白旗を讃えるような勢いがある。もと禹餘粮石を産した。そのほか珍しい水晶も多い。不動堂・大門の額には、佐々木志頭摩の一生の心構えが残っており、門前の餅は、来世閻魔王の咎めから守るものだ。





死んだ者はみな、必ずこの坂を越えないものはないという。このため金沢の何某の玄蕃という人は、ここで鬼にあったという話が噂としてある。その後鬼玄蕃といわれた人だという。こうしたことで思うに、怪異はその平生のようすによって起きる。

それもこれも魚の鱗は波に似て、鳥の毛は葉のようであり、獣毛は草と同じといえるように、天地のなかを鬼といえども逃れることはできない。





一日中細雨が降り、木々の葉に霧がかかった暗い日、私はこの峠を越中の方から越えてきたが、峠に恐ろしい男が二人おり、生木の棒をついて立ちはだかり、山の下を見下ろして立っていた。

私がその前を通ると恐ろしげな男どもが声をかけ、この麓から二十歳ほどの女が来るので、早く来いといってくれという。昔話に聞いた鬼の顔かたちだと思いつつ、麓の方に下りて行ったが十町ほど行くと、ほんとうに一人の女にあった。



その顔は青ざめ、深くもの思いに沈み傾き、さらに足元もおぼつかなく、細い杖にすがってよろよろと来た。

私はこの人だろうと思い声をかけ、この山に二人の男がいるが、早く来いとの伝言があったというと、女はありがとうと言って、またうつむいて去った。私は立ち止まっていたが、なにがあったか。女はその訳を話すでもなかった。



それを知りたいと思い女を呼び返し、もしや袖ではなかったかと尋ねると、女はたいそうなげき、袖にさえも二番も違ったと答えて行ってしまった。この頃富くじが大いに流行しているので、それに当たらなくて力を落したものとみえた。



これがもし幽霊であったら、亡くなった人の精神の抜け殻である。それゆえ、怪異もどこにでもあるのだから、どこにでも化物があるのだ。これは何か思い詰めた時に見る夢なのだろうか。









この「倶利伽羅」をもとに短編小説を書いたことがあり、ブログに掲載した。

現代語訳の難しい一編である。

「袖」というのは宝くじの前後賞のことである。富くじで家屋敷をなくした男二人と女が立山地獄へ向かう途中、倶利伽羅峠越えをした時のことであろうか。





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