現代語訳『三州奇談』 その13「異類守信」(巻之四)


堀麦水の『三州奇談』は、近世中期に成立した加越能の奇談集である。
今回はその13「異類守信」(巻之四)の現代語訳である。









「訳」

加賀藩の年寄・長家は、長谷部信連を始祖として続いており、連竜の武名は北国に知られ、加賀藩の家臣として三万三千石の所領をもっている。この家のことは別の書に詳しいので略する。ただ長家には、ほかの家とは違っていることが多い。第一に鷹狩りを禁じている。これには理由があり、信連が戦場で道に迷い食料が無くなった時、野狐があらわれて道を教え、食べ物を手にできて、戦功をあげた。このため長家では今も五口の扶持で狐を飼い、係りの下僕がいる。

延享の頃、大事にしていた鶉を食い殺されたことがあり、狐の仕業に違いないと、主人が立腹し、五口の扶持をとりあげた。すると翌日年とった狐が四匹出てきて、一匹の若狐を食い殺し、これを捧げて庭にうずくまり、罪を待つようだった。主人はこれをみて、許してやろうというと、狐は首を下げ立ち去っていったという。狐は霊獣であり日本や中国で、こうした例を聞くことが多い。



彦三町に大野仁左衛門という人がいる。宝暦巳の年六月の半ば、厳しい暑さで、宵のうちは涼しい風を待っていたが、夜も更け寝床で休んだ。そこに従者があわただしくやってきた。事情をきくと、「私は今不思議な夢をみた。暮方、私の部屋の樒(横木)の上に蜈蚣がいた。大きさは三十センチ以上で、捕えて紙に包んで、庭に捨てた。ところが夢のなかに衣冠をつけた人がでてきて、私は天王の命を受けてあちこち用足しをしていたが、あなたに縛られた。もしここで死ななくても、数時間遅れると仕事が遅れ、罪をうける。それゆえ、ここは解放して欲しい。明日は必ず戻って罪をうける」と言ったところで、夢から覚めた。あまりに不思議なのでお知らせにきたと言った。大野氏も興味を覚え、夢を覚えているのなら、その蜈蚣を探して放してやれといって、眠りについた。

翌日主従ともに、多忙でそれを思い出さなかった。夕暮れの頃、従者がやってきて、蜈蚣が戻ってきた、ご覧の程をといった。行くと大きな蜈蚣が樒の上にいて、刑を待つように、少しも動かなかった。主人は、たいそう驚き、こんなに小さい虫でも、よく約束を守り、ふたたび来たことは霊妙である。放してやれといって捨てさせたという。




さて香林坊の辺りに蜈蚣という医師がおり、庭に見事な楓の大木があった。春には、方々から寄せ接ぎのため鉢植えなどをもってきて、木の上に結わえて接ぎ木にしておいた。


ここは惣構の藪があり、蝙蝠が多くいた。ある日大名方から接ぎ木を頼まれ、念を入れて、枝の上六尺ばかりの高さに接ぎ置いた。翌日大きな蝙蝠が飛んできてこの枝にぶら下がったので、枝が傷つき継ぎ目がゆるんだように見えた。驚いて机の上に乗り、竹箒で打ちすえると蝙蝠は庭に落ち、それをもう一度射殺そうと振り上げた。が、考えてみると殺すだけが能ではないと思い、蝙蝠の羽を広げて、よく聞くが良い、接ぎ木は大名から預かったもので、私の命に代えても守るものだ。蝙蝠よ、お前はほかの枝にぶら下がるのはかまわない。しかしこの鉢の木の継ぎ目はたいそう大事なのだ。お前の仲間がこの枝におりたなら、最後には残らず網で捕ってしまう、必ず守れと言って放してやった。

養安は、我ながら可笑しくなって眠った。翌日、さらに多くの蝙蝠が来たが、接ぎ木に止まることはなかった。はじめはそんなわけはないと思ったが、その後数万の蝙蝠がきたときも、遂に寄せ接ぎの枝に下りることはなかったという。



みずから放たれた蟻螻が、牢の土を掘って恩を返したことも諸書にみえる。ゆえに小さな生き物であっても信があるに違いない。昨今の人心は、これとくらべても恥ずかしい。





  



以上が『三州奇談』の現代語訳その13「異類守信」(巻之四)である。

奇談に狐は常連であるが、蜈蚣や蝙蝠が出てくることは比較的少ない。最後の、医師矢田養安と蝙蝠の交流は特にゆったりとしてほほえましい。




コメント