現代語訳『三州奇談』 その2「伝燈の高麗狗」

    
現代語訳『三州奇談』 その2「伝燈の高麗狗」



 加賀・能登・越中『三州奇談』の現代語訳、その2をお届けする。「伝燈の高麗狗」である。金沢の中心部から北東へ約5キロで、谷間の川沿いにある小さな集落の話である。







[]

 瑞應山伝燈寺は河北郡長屋谷にある臨済宗の名刹である。開山は恭翁運良で、ここは後醍醐天皇など三院の勅願所である。


 建武二年(一三三五)、二条師基が国師として下向し、伝燈寺近くの夕日寺観音に詣でた。天皇は荘園として小坂の庄七郷を与え、運良に紫衣を与えた。このとき師基の館があった所を御所村という。


 応永二年(一三九五)、国内の一か国ににつき一寺、安国寺を創建したが、加越能には伝燈寺など大きな寺があるので建てるに及ばずとされた。


 伝燈寺には塔頭・末寺が多くあったが、天文・天正(一六世紀)の戦乱により一度途絶えた。一向一揆の際に富樫氏に加勢したため一揆方からは敵とみなされたためである。富樫氏の支族はこの寺で自害して果て、富樫晴信もここで亡くなった。


 このため伝燈寺の住持はななり、塔頭も離散した。ところが加賀藩三代藩主・前田利常公のとき、寺領を与えられ千岳和尚を住持として堂宇を再興し、京都・妙心寺の末寺となった。





 元禄のはじめ、活道和尚の頃、このあたりに狼が多く出て、田畑を荒らし人にも被害を与えた。ある日、狼の害に困った門前の老父が、危険を感じて和尚に子供を預けて助けを求めた。日暮れから狼の声が多くなり犬も吠えていたが、夜が明けて調べてみたが被害はなかった。


 村人がいうには、その夜狼の数はとりわけ多かったが、寺から白狗が二匹走り出て狼をかみ殺したので、ほかの狼は逃げ去ったという。和尚も不思議に思い鎮守堂に行ってみると、狛犬の手足は土まみれで、口のまわりには血がべっとりとついていた。夜中に狼を退治したのは、この狛犬であったことが分かった。




 狛犬が狼を退治した朝、そこにいた村人の中に長老がいて、次のような話をした。昔、行基菩薩がこの村に来て、二体の観音像を彫り、残りの木でふたつの狛犬を造った。そして越中朝日の観音に対し、ここには夕日寺を建立し観音を安置、鎮守堂には白山宮を勧請し狛犬を据え置き、深く進攻した。



 その後夕日寺は荒れ果て村の名に残るのみとなり、狛犬は辻堂にほうって置かれていた。天正の頃、猪がたくさんでて村人が困っていたとき、狛犬は里人の夢に出て、「わが主である観音は、いま伝燈寺の境内におられる。われをそこに連れて行けば、神に告げて狼を退治しよう」といった。お告げにより狛犬をその鎮守堂に安置したところ、猪はぴったりと出なくなった。

 昨夜狼を退治した様子を見ると、これは間違いなくこの狛犬の霊験であると、長老は語ったのである。





「伝燈の高麗狗」は天正の猪、元禄の狼にまつわる伝承である。江戸時代には金沢の町近くにも狼が出た記録がいくつか残されている。夕日寺・伝燈寺の狼退治のため、加賀藩が役人を派遣したことが『加賀藩史料』のなかにある。

 この奇談は当時あった事実をもとにした書かれたものである。
『三州奇談』には史実を伝えるものが多くあり、古文書の史料と参照してみると興味深い。






コメント