ブログ版 『三州奇談』を読む   「中代の若狐」-6


  ブログ版 『三州奇談』を読む   「中代の若狐」-6 


  加賀騒動  


  続きである。

 人を化かせなくなった中代狐は、舞台から消えてしまったが、この狐に託して、「中代の若狐」の最後の部分で作者から読者への重要なメッセージが示されている。

  狐だも化けそんじたるを恥かしく思ふこと深きにやと沙汰せり。人として
  爰にては方便の顕れ、彼処にてもうその尾はげても、猶厚顔に世を渡る。
  せめて此野狐程にも恥を知れとぞ思ふ。

 これはつぎのような意味であろう。「中代の若狐」は、化けそこなったことを恥じて潔く退いていった。それなのに、企みが顕わとなり嘘が露見しても、なお厚かましく世を渡っている人間がいる。せめてこの野狐ほどには恥を知れ。

 作者・麦水は、厚顔に世を渡った何者かを、きつい口調で責めている。「中代の若狐」は短い作品なのでこれだけでは、誰に向かって「恥を知れ」といっているのかはわからず、作者のメッセージに結びつくヒントは、ここにはない。

 作者が明確に誰のことかを示していない理由は、当時の人々はこれだけで、何のことか十分にわかったこと、くわえて具体的にその事件を書き記すことは、藩に対して憚られていたからであろう。それは、藩政にかかわる大きな事件を指すのだろう。


 具体的に、その事件・出来事を、大聖寺の大火があった宝暦十年(一七六〇)前後の、十八世紀の大聖寺藩と加賀藩の両藩から探ってみよう。

 a まず大聖寺藩。大聖寺藩では、自然災害がきわめて多く、大聖寺川の氾濫は江戸時代を通じて百数十回もあり、大火は宝暦八年、十年などをはじめ頻発していた(『日本歴史地名体系』)。

 また凶作は、天和元年(一六八一)、正徳二年(一七一二)に見舞われており、全藩規模で一揆が起こっている。三代藩主・利直の代(一七世紀末から一八世紀初め)には、家老神谷内膳守政・村井主殿、守政の子・外記守応らの間で権力抗争があった。

 これらは「中代の若狐」と年代的には合致するが、支藩の出来事でもあり、「恥を知れ」というのは考えにくい。



 b 次に加賀藩。『三州奇談』の作者・麦水は安永八年(一七七九)加賀藩の御医師並となり、十代藩主重教の将棋相手となるなど、体制側に属していた。批判は藩主に対してではなく、政策にかかわる家老級の実力者に向けられたと考えるのが妥当であろう。

それは誰であったのだろうか。


つづく


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