ブログ版 『三州奇談』を読む   「中代の若狐」-4

ブログ版 『三州奇談』を読む   

  「中代の若狐」-4


 狐火の正体とは何か。

 愚実な家僕は怪しい舞台のなか、提灯の灯から狐火を連想した。狐火とは、「闇夜、山野に出現する怪火」であり、狐が火をともすという俗信は「宇治拾遺・狐家に火をつくる事」をはじめとして、古くからあった(『日本国語大辞典』)。

 狐火でもっともよく知られているのは、「王子の狐火」である。大晦日の夜、江戸郊外の王子の稲荷神社の装束榎の下に狐が集まり、狐火があらわれたとされる。
 人々は狐火の明暗で翌年の豊凶を占った。狐は農耕神から稲荷となっていったのである。

 この狐火を人間はどのように受けとめられていたのか。
「もし夜行すれば、忽ち野火を見る。青く燃えるのは狐尾が火を放っているのである」(『本朝食鑑』)、

「尾を撃ちて火を出だす」、「其ノ口気ヲ吐ケバ火ノ如シ」(貝原益軒『大和本草』)、「狐火は、その口火を吐くと言ヘリ」(『日本古典博物事典』)などとしており、狐のどの部位が光るかについて、前者は尾であるのに対し、後者は口としている。

 また狐が火を吹くのは、人の髑髏、馬の枯骨、土中の枯れ木を食べるからだとするものや(『本朝食鑑』)、「馬の血は狐火となり、人の血は野火、すなわち鬼火となる(『列氏』)」とするものがある。双方に馬がからんでいるのが注目される。

 以上とは別に、狐火を点景としてとらえるものがある。
『和漢三才図会』は、「蛍火は常にみるものであり、狐火もまたまれではない」とし、「大体小雨降る闇夜で人声のないとき燐火は出現する。みな青色で焔はない」と続ける。

『菅江真澄遊覧記』には、海辺の方向に飛ぶ鬼火をみて「狐火でしょう、いつも狐が火を消したり点したりする浜路の野良の塚原です」、

『西遊草』は「昨夜向こうの山に狐火があって山全体が明るくなり、奇妙であった」と、狐火は怪異というより、田舎ののどかな夜景のひとつとしてとらえている。


 地元の「大聖寺怪談録」には大聖寺の狐火がでてくる。竹内宅右衛門が夏の夜涼みで、田の畔に腹ばいになって見ていたが、畑の火ではなく狐であった。「彼の狐尾を直に立ててふりければ、其尾の先より火のごときもの出で、其辺り明らかに見えたり。其様子を考へしに、其光りにていなごをとり食ふなるべし」とある。


 狐火は各地で頻繁にみられたが、狐は不可解で怪異をなす妖獣であるとの一面が常に底流にある。夜の暗さの中の狐火は、人々の想像を刺激し空想をふくらませたであろう。

「中代の若狐」の家僕たちは、狐火のでる化かされそうな雰囲気の中で正体を見破った。時は十八世紀、近代へのめざめの時期であった。

 つづく






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