ブログ版 『三州奇談』を読む   その1「中代の若狐」ー2


.「中代の若狐」 大聖寺の宝暦の大火

「中代の若狐」の狐は、人を化かすのに失敗し、その失敗をきっかけに引退し消え去っていった話である。

 この狐の潔さと比べ、作者は何者かに対し恥を知れという言葉を投げかけ、人間社会に警鐘を鳴らしているのである。これは誰に対して投げた言葉であるのか、これがこの話の主題なのである。

 さらにもう一つ、愚直な家僕であっても、その身分にかかわらず物事を見抜くことができ、庶民の目はふし穴ではないことにも言及している。


 この話には大聖寺の宝暦の大火が背景にある。
 大聖寺の宝暦の大火は、『三州奇談』の「中代の若狐」の話の直前にある、「蛙還呑蛇」でとりあげられており、二話で完結の形となっている。
 
「蛙還呑蛇」では、宝暦十年(一七六〇)の大火の前年、普通の蛙が一尺五寸ほどのアヲナムサという蛇を一昼夜かかって呑みこんだ。旅の僧が六十四卦で吉凶を判断すると、蛙が蛇を呑む変事があった場合、人の世では大火があるという占いがでたのだ。翌年占いのとおり宝暦の大火が起きた、というのが前半である。

 後半は大聖寺上口袋町から出火したことや、出火場所、類焼した町名や寺院名を克明に記している。


 この大聖寺の宝暦十年の大火は、二月七日出火し翌日鎮火したが、焼失家屋は一二五二軒と、城下のほとんどが焼けた(「政隣記」)。

 支藩大聖寺藩から大火を知らせる飛書が本藩加賀藩へ届いたのは、八日朝あった。本藩では同日未刻(午後二時)御使番大橋作左衛門など六十名ほどを大聖寺に派遣し、兵糧米千俵を後日安宅浦から舟で送ることにした(『加賀藩史料』)。

 大聖寺の五代藩主前田利道は、勘定頭山本新五左衛門を呼び出し、「今般大変に付定而食餌致さぬ者多からん、不便なる事と思召、早々四丁町蔵より米出し、家中より末々に至る給べさすべし」と直々申しつけている。

 これを受けた塚谷楢右衛門が、前例がないと逡巡していると、利道は「以の外御気色損じ(略)何れにも手早く出し給べさせんこそ寛容なれ」と叱った(「秘要雑集」『大聖寺藩史』)。

 この奇談の背景には、史実である大聖寺の大火があった。

 つぎは狐の怪異についてふれることとする。




コメント