イノシシと人間の今昔 その1

イノシシと人間の今昔 その1


イノシシが増えて、これまでは棲息していなかった能登半島の先端でも確認されている。イノシシの害は今に始まったことではなく、江戸時代からあった。

『三州奇談』にはイノシシの記事が出ている。とくに続編巻之七「竹の橋の猪塚」加賀藩の役人と農民が農害を防ぐため猪狩りするようすが詳細に書かれている。

農家の皆さんが獣害、イノシシやシカの害に悩んでいる話を聞く度に、昔も今も変わらないなと思う。古くて新しい問題なのである。
急増するイノシシを徹底して絶滅する方法は現段階ではない。檻や銃では明らかに限界がある。如何に以下にすればよいのか。

ということで、イノシシと人間の関係を一度整理しておくことは必要だろう。

5回にわたって加賀藩政時代の記録(古文書)を中心に、いくつかの方面から視点を変えてみてゆきたい。その1回目である。

最近金沢の町中にイノシシが徘徊しているというニュースがあった。何日も目撃されるので檻を仕掛けたという。しかしイノシシはとても用心深く、なかなかその手にはのってくれないようだ。
今は猪の猟期なのに、いい知らせは少ないようだ。

以前沖縄に行ったときに、ハブを捕えて役場に届けると、1匹何万かの金をもらえるという話を聞いたことがある。

ところで地元紙にはイノシシを退治したものには、その期間やサイズによって1万~3万円の報奨金が出るという話があった。

前年はイノシシによる竹の子への被害が甚大であり、その鋭いきゅう覚で、顔を出す前の竹の子を、ことごとく掘り出して食べた。金沢周辺は、雪が少なく、イノシシの出没が早かった。今年も竹の子を荒らされ収穫量大幅減となるか恐々としている。まさにイノシシ恐るべしである。

現在を考えるには過去の例を振り返り、学び取らなければならない。

こんなことがあった。イノシシを捕えると昔も、藩からご褒美がもらえたのだ。
加賀藩では猪の害に困り果てていた。安永五年(1776)には、領内においてイノシシを捕獲したものには、1頭につき米1斗の御褒美米を出すとのお触れが出た。

捕えたイノシシを遠く城下まで運ぶのは大変なので、証拠として尻尾を奉行所に持ってくればよいと、粋な計らいをした。

藩の史料によると、その後3回にわたり同様の史料があるのが確認されており、ということはイノシシが思ったほど大量に簡単には捕獲することができなかったということになる。藩も農民も困窮していたのである。

当時の対策としては、落とし穴やわなを仕掛け、藩は鉄砲を貸し出したが、決定的な方策はなく、イノシシは増え続けたようだ。
なぜか徹底できなかった。徹底した藩は対馬藩だけであった。

報奨金を出すことは、昔も今も猪退治の決定打にはならなかったのである。檻を仕掛けてイノシシを獲る方法は魚の一本釣りのようであるが、一網打尽にする方法はなく、300年の昔からさほど進歩した対策はできていないのが現状なのである。

つづく





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