奇談の狐たち その1 尻尾をだした狐


奇談の狐たち その1 尻尾をだした狐


『三州奇談』には、狐の話が繰り返し出てくる。先にイノシシについて考察したが、狐は何といっても奇談の王様である。そうした狐の話を、3回にわたり紹介して行きたい。

 狐は野生の動物だが、人里近くに棲んでいて、人間の身近な存在であった。人とのかかわりが深く、霊性と不気味さをもっており人々はその行動に注目していた。
不思議な出来事は狐の仕業ではないかと考え、多くの昔話となり語り継がれた。

『三州奇談』 巻之一「中代の若狐」は、騙す狐ではなく、騙すことができなかった、狐らしくない狐の話である。「中代の若狐」のあらすじはこうだ。


 宝暦十年(一七六〇)加賀藩の支藩の大聖寺大火のあと、藩主から拝領した木を伐りに、吉兵衛ら三人の愚直な家僕が夜中に出かけた。山中の奥・桂谷に向け夜通し道に迷いながら歩いた。火縄の火が消え火打石を打っても火が出ず、不気味な雰囲気だった。

 そんな時、飛脚提灯をもった飛脚とおぼしき二人が追い越して行った。それに追いついてたばこを吸おうと、家僕は思わず知らず追いかけた。

 吉兵衛は落ち着いた男で、飛脚が夜中に山奥を通るわけはないので、狐の仕業ではないかと考えた。主人の狐はうまく化けており人間のようだったが、下男は時々大きな尻尾を出していた。

 三人の家僕は思わず吹き出して笑うと、主人の狐は驚いて下男を叱ったようにみえたが、低く屈んで中代縄手を逃げていった。
 三人は、あれがかねて聞いていた中代狐か、噂ほどではない、打ち殺してしまえと追いかけたが、見えなくなったしまった。
 捨てられた提灯は、もって帰れば面白い見世物になるぞといいあったが打ち捨てた。このあと、恥をかいてしまった中代縄手の狐は人をだますことは、やめてしまった。

 このように狐でさえ化けそこなえば恥ずかしく思うものである。人間は計略や嘘が発覚しても、なお厚かましく世を渡る。せめてこの野狐ほどには恥を知れと思う。



 あらすじは以上だ。人里離れた縄手、夜中の丑の刻、相手は愚実な家僕と、狐にとって人間を化かす条件はそろっていたが、人を騙せなかったばかりか、下僕に嘲笑されて、狐はみずから消え去っていったたという話である。

 この中代狐はただの野狐ではなく、名うての狐一族「中代狐」、誇りある狐集団なのである 。それが未熟な若狐とはいえ、お誂え向きの舞台で失敗したのである。


 付近の昔話に「わりゃ中代狐に騙される騙されるって。わしなら騙されたりせんわいや」という若い衆がでてくる。このあたりの狐は、それ位あざやかに人を騙したのである(『南加賀の昔話』三弥井書店)。

「中代の若狐」は、人を化かすのに失敗し、その失敗をきっかけにして、恥ずかしさのため引退し消え去ったのである。
 


 この狐の潔さと比べ、作者は何者かに対し恥を知れという言葉を投げかけ、人間社会に警鐘を鳴らしているのである。作者は奇談を背景にして加賀藩の何かを批判しているようだ。それは加賀騒動の主役・大槻伝蔵だと考える。機会があれば詳しく書いてみたい。
 
さらにもう一つ、愚直な家僕であっても、その身分にかかわらず物事を見抜くことができること、庶民の目はふし穴ではないということにも、狐の話をつうじて言及しているようだ。

 奇談の狐たち、その1はこのあたりで。話はつづく。



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