イノシシと人間の今昔 その5 最終回



   イノシシと人間の今昔 その5 最終回


人間とイノシシについて考えてきたが、今回はその最終回である。


江戸時代のイノシシの捕り方や捕ったイノシシの供養などについて書いてきたが、捕獲したイノシシを食べたのかどうかには非常に興味がある。

動物の肉食禁令は、天武4年(675)にすでに出されていた。仏教思想のケガレの観念から建前としては、食べたり売ったりしてはいけないとされ、その後法令は十数回にわたって布告されている。

何回も布告が出されたということは、逆に庶民の間では動物食が一般的におこなわれていたことを物語っている。なかでもイノシシは多数捕れたことでもあり、貴重なタンパク源としてひそかに食されていたことが想像できる。

イノシシは単なる食料としてだけでなく、内臓は薬として使われていた。猪肝は下等な熊肝や模造品に比べれば優れていたという。

野猪肝は、熊肝に成分がすこぶる似ていたのだ。イノシシは人間にとって有用な動物でもあったのだ。

常陸国ではイノシシの鼻は痙攣の薬として効くので差しだすよう藩から通達が出ている。また黒羽藩でもイノシシの鼻、シカの耳を差しだすよう猟師に指示していた。
隠れてほかに売買すれば咎めを受けた。農民にとらせたイノシシだが、それを収入源としていた藩があったのである。

イノシシは農業被害をもたらす厄介者であったが、一方では人間の食糧源や薬となり、藩の収入源の一つともなっていたのである。

このように人間とイノシシとの間には、単なる害獣としてだけではなく深いかかわりがあった。農民にとってイノシシは憎い動物には違いなかったが、いろいろと接触するうちにはちかしい生き物だと思えることもあって、猪塚をつくって供養したのだろう。

近世の人間と動物のかかわりの背景には、ともに生きるものであるというという共感さえあったように思う。この背景には合やはり仏教的な考え方が支配していたであろう。


5回にわたったイノシシ・シリーズは、これで終わりとする。



                  イノシシのジビエ

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