イノシシと人間の今昔 その3 板橋・下屋敷のイノシシ狩り

イノシシと人間の今昔 その3 板橋下屋敷のイノシシ狩り


 イノシシについて、前回はアニミズムであった。つづいてその3である。

 現在イノシシを獲るには檻かわなで捕え、鉄砲で止めを刺すという方法が行われている。わなに掛けた猪は、まだ生きている。こん棒で立ち向かい鼻っ柱を一撃すればうまくゆく場合もあるが、勇気がいるし危険を伴う。
3 ここは狩猟のわな猟免許と鉄砲免許保持者の共同作業となる。

 江戸時代の農民たちの場合はどのようにしたのか。やはりわなや落とし穴だった。犬を使ってイノシシを追い出し、槍や鉄砲で撃ち取った。
 藩の鉄砲隊が出ることもあったが、農民には藩から鉄砲が貸し出され、多くは農民自身が撃った。

 しかしイノシシは行動範囲が広く俊敏であるので、鉄砲を命中させることは簡単なことではなかった。

 落とし穴猟については、貴重な史料がある。加賀藩・板橋の江戸下屋敷で行われたイノシシ・シカ猟である。

 貞享3年(1686)と文化6年(1809)の2回の記録がある。板橋の下屋敷といっても、当時は広大な原っぱのような庭園が広がっていた。

 このあたりにはイノシシが多くでて畑を荒らすので付近の百姓に依頼して、屋敷内に数カ所落とし穴を掘った。そこに猪を追いこみ、「落し突留候」とある。最後は穴に落ちたイノシシを槍などで仕留めていた。

 当時もイノシシが農作物を荒らしまわるので困っていたのだ。また下屋敷の侍はイノシシ退治を農民に依頼しており、自分たち侍の仕事ではないと思っているのが興味深い。

 アニミズムによりイノシシに遠慮するから退治できないだけではないのだ。イノシシは手ごわい相手なのである。

 次回は猪塚とアニミズム説への疑問を、最終回は肉食が禁止されていた江戸時代にはたして農民はイノシシを食べたかについて考えたい。



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